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アドラー、愚者の心理学  

アドラー、愚者の心理学              ―狂気の精神科医―


 心を病んだ人のみならず、迷える現代人にも有益だとされるアドラー心理学であるが、本当にそうであろうか?

 精神科医の狂気――それがアドラー心理学の本質である。

 精神科医は常日頃からその臨床の現場において、心を病んだ人々の狂気と妄想に寄り添って生きている。それが10年、20年、30年と続いた場合、やがて精神科医の頭と心は狂気と妄想に占有され、妄想や幻想が「客観的な現実」になり、異常な価値観が「常識」となる。 
 この段階に到ると、精神科医自身が狂気に染まった狂人となり、正常な価値観や常識が、異常であるとしか考えられなくなる。すると彼らは言い始める――
「客観的な現実など存在しないのだ」、と。それがアドラーの主張である。

 アドラーは言った。
「人は、自らの思いようで人生はどうにでもなる」――それが本当ならば、アドラーの長女がシベリアの強制収容所で死ぬことも、弟子達がナチスに虐殺されることもなかったろう。

 アドラーは自己の思想を体系化できず、整合性のある学問体系にもできなかった。従って、「アドラー心理学」という精神医学体系は存在せず、断片的な彼の記述は、「医学」としての価値も、診断・治療学としての価値もなく、研究者はアドラーの症例報告的言葉を過度に拡大解釈している。
 アドラーの「個人心理学」の正体は、彼の個人的かつ視野の狭い価値観、実に貧弱な頭脳から発せられた、愚かな「一個人の独善」に過ぎない。

「自らの考え方次第で人生はどうにでもなる」――その思想は彼自身の人生に由来する。
 アドラーはユダヤの中流以上の裕福な家庭に生まれ、中の上程度には頭が良く、教育環境が万全であったため、大学を出て医師になるという『自らの考え』が容易に実現された。
 彼の思想は、その恵まれた家庭環境により楽々とエリートへの道を歩み得たという「客観的事実」を反映した思い込みである。もちろんアドラー自身によれば、そんな「客観的事実など存在しない」事になるが。
 彼の目には、貧しい生い立ちの人々や、絶望の人生を生きるしかない人々など、自分以外の大多数の不幸な人々、彼と異なる平均から平均以下の人々の姿は全く映っていない。こうしたことは、二世、三世議員や、親にしかれたレールを歩んで医師になっただけの自称「エリート」によく見られる、取り立てて珍しくもない事実である。
 アドラーにはその自覚が完全に欠落しているが、それは彼が、社会の底辺、あるいは平均以下の生活を余儀なくされる人々に全く共感しなかった事を裏付ける観察事実である。
 その点では、「レ・ミゼラブル」=「惨めな人々」という小説で、前科者の悲劇や孤児の絶望、最下層でうごめく人々の不幸や弱者への虐待を克明に描き出した世界に誇るフランスの文豪、ヴィクトル・ユゴーとは全く対照的である。
 彼もアドラー同様、比較的恵まれた家庭で育った人だが、アドラーとは違い、世の「客観的な事実」としての不幸と悲哀の現実を知り尽くしていた。共感能力と観察力、洞察力と知的能力が非常に高い人物は、社会の不幸を看破し、我がことのように感じることができる。
「自らの考え方次第で人生はどうにでもなる」――アドラーの幼稚な意見は、
「経済的にも教育環境にも恵まれていれば、自分が考えたような人生が簡単に実現できる」という、彼自身が経験した「客観的事実」を、お幸せで恵まれていた愚かなアドラーが普遍化させた、言って見ればたわごとにしか過ぎない。

 紛争国の極貧家庭。両親とも文盲でエイズに罹患している。生まれた子供も母子感染して新生児エイズを発症しているが、親には病院を受診する金も治療薬を買う金もないから、子供達は為す術もなく死を待つしかない。あるいは先進国で、親に虐待され殺害される子供達。――アドラーよ、お前はこの不幸な子供達にも、
「人生は自らの考え方でどうにでもなる」と言えるのか?

 アドラーは軍医の経験があり、戦争の現実を目撃していたにも関わらず、
「平和の重要性の認識と戦争の悲劇の自覚」には向かわず、
「軍隊的な『共同体感覚=共同体への愛』」を鼓舞するに至った。こういう愚劣な人間は後を絶たず、その結果、今に至るまで、戦争が終わる事も、平和が模索される事もない。未来においてもそうであろう。

 アドラーの言う「共同体への愛、共同体感覚」を世界一鼓舞し奨励したのは、ヒトラー、スターリン、フランコ、東条英機、岸信介、極右派や極左派など、人類史上最悪の独裁者と戦犯共である。

「共同体感覚」を奨励することが、容易に愛国心による国民の洗脳支配や民族差別主義に利用されるという、単純で簡単な事実が全く理解できなかったアドラーは愚劣である。
 彼の弟子達がナチス・ヒトラーに虐殺され、長女がシベリアの強制収容所で死んだという事実がありながら、なお、「共同体感覚」の妄想に固執していたアドラーは狂っている。

 他者への愛や献身を嘲笑しながら、「共同体感覚」と「共同体への愛」を奨励していたアドラーは自らの矛盾に全く気付いていない。ユダヤ人であったアドラーは、キリストの説いた「他者への愛」を否定したかったのだろう。自分がキリストより偉大だと信じて。

 アドラーは自らの幼少時に、くる病その他で病弱であり、弟も生後一歳頃、ジフテリアで死んだ。
 病気や死や先天的な疾患は、「考え方」や「気の持ちよう」ではどうすることもできない。自らがそれを実体験しているにも関わらず、
「人生は自らの考え方でどうにでもなる」と主張したアドラーは、現実の不幸を完全に否認している。同時に彼は、貧しさや病気や死、独裁政治や戦争に苦しむ他者の不幸には、信じれらないほど無関心で冷淡である。
 彼の頭にあったのは、妄想や狂気によって自ら不幸になっているだけの精神疾患の患者の妄想のみであって、
「現実に存在する社会矛盾や戦争や独裁政治や貧困や疾患」など、生涯全く眼中になかった。

「人生は自らの考え方でどうにでもなる」という考えは、
「国民の不幸の全ては個人の自己責任であって、政府にも政治家にも一切何の責任もない」と主張して、権力者と政治家だけが豊かになって全権力を得ることを画策する、新自由主義を提唱する扇動政治家や独裁者、独裁政権を狙う政党には極めて好都合である。

 従って、アドラー心理学の本が書店に並んでベストセラーになる状況は、多くの場合、背景には独裁政権や国民のマインドコントロールを狙う政治家の意図があり、国民の権利の剥奪を画策する独裁政治が目前に迫っているという、おぞましい現実を示唆するものである。

 アドラーの、体系をなさず支離滅裂で自己矛盾でしかない自称「心理学」は、軽薄で愚劣であるがゆえに「注釈」や「解釈」を自由につけやすい。
 その結果、売名行為に走る自称「哲学者」や自称「学者」、自称「精神科医」が勝手に愚劣な解釈を付けて安直版を出版するが、アドラー自身が愚劣で残酷で軽薄であるのだ。そんな愚かなアドラーを信奉してその「解説」で名を売ろうとする連中の頭の中身と人間性がどんなものであるかは推して知るべしである。
 賢明で、現実の人生の不幸と苦労、絶望と悲哀の味を知る者は、最初からアドラーの正体、その愚劣さと底の浅さを見抜いて軽蔑し、彼の自称「心理学」など全く意に介さない。人生の荒波を生きるには全く何の役にも立たないから。

「人生は自らの考え方でどうにでもなる」――この愚劣で残酷なアドラーの狂気は、自分の力で人生をどうすることもできない乳幼児や子供、社会的弱者の不幸を完全に無視しており、こうした不幸な人々が永遠に救われない事を意図する残忍で狡猾な悪意に他ならない。

「人生は自らの考え方でどうにでもなる」――それが本当なら、人類史上の良心と呼びうる勇敢で賢明な人々が、命を懸けて努力した、ありとあらゆる不正や差別の撤廃や国民の福祉の獲得は、その価値を完全に失うだろう。アドラーに言わせれば、こうした命がけの努力の成果など、
「考え方一つでどうにでもなる、いとも簡単なこと」なのだから。
 アドラーの安易にして愚劣な考えは、社会的福祉や弱者救済の努力の価値を完全に否定している。

 同時代の精神科医フロイトは、自身も愚かであったが、アドラーの正体だけは読めたらしく、
「野心家で頑迷で強情なエイゴイストだ」と、正しくアドラーを評価している。

「客観的真実など存在しない」――そう述べたアドラーの思考は完全な妄想であり、理性的判断も客観的事実の認識もできない彼は狂人である。

「客観的事実など存在しない」――その発想は、虐待やDV、侵略戦争における残虐行為など存在しないと平然と証言した、
「虐待者に金をもらって虐待者を擁護し守る精神科医」、
「妻に暴力を振るいストーカー行為を繰り返す夫を弁護しその権利を主張する精神科医と弁護士」、
「侵略戦争はなく、従軍慰安婦も居らず、戦争中いかなる略奪も強姦も殺人もなかったと主張する日本の石原・ポコ・珍太郎と逢坂維新の会の箸元、安屁首相と痔民党、肛冥党、軍国主義者、右翼、民族差別論者」、これらの唾棄すべき人々を支持する「学問的根拠」として、今に至るまで悪用されている。
 
「客観的事実など存在しない」――そう繰り返し主張したアドラーは、核ミサイルの存在も、今現在も続く戦争も、弱者が苦しむ格差社会も、世界のあらゆる不幸や残虐行為の存在も認めず、自らの長女が強制収容所で死んだ「客観的事実」も、自らの弟子達がナチス・ヒトラーに虐殺された「客観的事実」も、一切認めない。アドラーにはそんな「客観的事実は決して存在しない」のだろう。彼の主張が正しいならそういうことになる。
 自分の事だけを考え、自らの栄達と社会的評価だけが全ての冷酷なエゴイストには、こうした他者の不幸な「客観的事実」は存在しない――アドラーの主張は、そのおぞましい事実の証明である。
 こうした人間は、他者の不幸な「客観的事実」など気にも留めなくて良いから、一生涯幸せに生きられる。
 こうした残酷で無慈悲で冷淡で狡猾で計算高い人間共が、全世界の「客観的事実」としての不幸の根源である。もちろん、アドラー自身には、そんな「客観的事実」など存在すらしていないのだ。

 劣等感を彼は絶賛したが、劣等感をバネにして努力し幸福になる人にとって、劣等感など何の問題でもないから、そういう成功者の劣等感は放っておけばいい。議論する必要がないから。
 ところが現実には、劣等感で自殺する人、劣等感で自ら不幸になる人が居り、劣等感は容易に優越感に変わる。
 人間は、自分以上の相手には劣等感や妬み、嫉み、僻みを抱くが、自分以下とみなす者には優越感を抱き、相手を馬鹿にし、時には虐待する。優越感と劣等感は表裏一体であり、優越感も劣等感も同様に有害である。
 愚劣で人生を何も知らない人間だけが、劣等感と優越感とプライドを、あたかも良い物であるかのように考える。実際には人類のあらゆる不幸と差別の根源であるのに。

 実在する一人の人間――目の前の家族や肉親や我が子や恋人や配偶者やパートナー以上に、形もなく実際には存在すらしていない「共同体」を優先的に愛するアドラーのような人間は、実際には誰一人として愛していないし、誰一人にも関心がなく、一生涯、良質な愛を知らずに死ぬ。
「国家」を愛する人間が、死ぬまで真実の愛を知らず、「家族や肉親や隣人や隣国」に、限りなく残酷で冷酷で無慈悲であるのと同じである。
「国家」? 「共同体」? ――そんなものは全世界のどこにも存在しない。実在しているのは、「一人一人の人間」のみである。

「トラウマなどない」
「心的外傷――残忍な虐待や性的虐待、繰り返される暴言や残酷な扱いによって人間が不幸になる事は決してない」――アドラーはそう明言し、繰り返しそう主張し、死ぬまで反対意見を認めなかった。
 ところが現代医学は全く逆の事を言っている。
「虐待は深刻であればあるほど、脳の海馬を不可逆的に萎縮させる」
「精神的虐待でも同じ結果をもたらす」
「虐待されると、それが精神的なものであっても、脳のアドレナリン受容体数を増加させ、決定的に切れやすい狂暴な脳を作って暴力犯罪や凶悪犯の予備軍になる」
「幼小児期の虐待は、明らかに知能を低下させる」
 以上の残酷な現実、すなわち、虐待が取り返しのつかない不可逆的な結果をもたらす、深刻なトラウマをもたらすという「客観的な医学的事実」を、現代医学は「客観的に証明した」。
 精神科医でありながら、トラウマの存在、虐待による後遺症の存在に気付く事すらなく、その実在を否定し続けたアドラーは、医師としてあまりにも観察力と洞察力と分析能力と診断能力に欠け、正しい事実を指摘する賢明な精神科医の言葉を理解する能力もない、全く無能な藪医者であるに過ぎず、強情で頑迷で愚劣で残酷な、自らの「妄想と幻想」の闇に埋もれて死んだ徹底的なエゴイストであるに過ぎない。

 精神医学会の三大巨頭――フロイトとユング、アドラーがそれである。

 フロイトの唯一の功績は、「性的虐待によって心的外傷を生じる」という事実を発見したことだが、そののち、父権的な貴族社会と精神医学会のサロンから非難される事を恐れて自説を撤回し、
「性的虐待など存在せず、患者自身が親から強姦されたいという願望を持った狂人であり変態なのだ。」とする、「オイディプス・コンプレックス」なる本末転倒した珍妙な学説を提唱して、まんまとサロンの寵児として生き残る事に成功した。
 彼は我が身可愛さのあまり、あらゆる虐待の被害者に背を向けて加害者に媚び、残酷にも、被害者すなわち犠牲者に唾を吐きかけ鞭打った。
 彼が患者を裏切り見捨て、自己の栄達だけを選んだ、医師と呼ばれる資格のない人間であることは、識者の中では知らぬ者もない歴史的事実である。
 若い頃のフロイトは、
「麻薬が人生全ての不幸を救う」と称し、患者その他にコカインの使用を推奨し、大量に中毒患者を発生させている。
 ナチス・ヒトラーの支配下では、かつての仲間が庇護の手を差し伸べたにも関わらず、フロイトは頑迷さとプライドを優先してその申し出を蹴った。
 その結果、ユダヤ人であった彼の弟子達の多くはナチスのガス室その他で虐殺された。フロイト自身はもちろん弟子を見捨て、自分は平然とイギリスに亡命して生き延びている。

 同時期に生きたポーランドの小児科医、ヤヌシュ・コルチャック医師は、フロイト同様ユダヤ人であり、ユダヤの孤児院を運営していた。世界で初めて児童憲章を立ち上げるなど、子供達のために文字通り一生を捧げた人物である。
 彼を尊敬するドイツ人医師から、ナチス・ヒトラーの迫害を逃れるために、子供達を見捨てて亡命するよう再三再四にわたって勧められたにも関わらず、コルチャック医師はそれを拒否し、最後の最後まで子供達に寄り添い、子供達と共にナチス・ヒトラーのガス室で殺害された。
 頑迷さとプライドを優先して弟子達の死を来しながら、自らはサロンの寵児として生き延びたフロイトと、子供達に寄り添って子供達と共にガス室で死んだヤヌシュ・コルチャック医師。
 子供達が親に強姦されたいのだという、これ以上ないほど冷酷で残忍な「学説」をもって患者を切り捨て、親に虐待され強姦される悲惨としか言いようのない不幸な患者達を裏切ったフロイトと、子供達を愛し、子供達のためなら自らの命を捨てることすら辞さなかったヤヌシュ・コルチャック医師。

やぬしゅ

 ヤヌシュ・コルチャック先生と、全世界の子供達の未来、戦争のない世界のために……

やぬしゅこ

 あまりにも対照的な二人の人生である。

 スイスのユングも、精神医学界の「3大巨頭」の一人である。
 フロイトと同時代のユングは、「集団的無意識」の存在を提唱したが、厳密にはそれは、「自覚されない意識」と言うべきであって、「無」意識ではない。
 人間の意識は何層にもなっており、DNAに刻まれた本能、生存欲求から情動、高度な理性までが複雑に折り重なって成立している。
 この事実は既に紀元前のインドの覚者、ガウタマ・シッダールタによって指摘されており、ユングはその表面のみをなぞったに過ぎない。従って新発見ではない。
 彼がナチス・ヒトラーを全面的に支持し、喝采し、絶賛したという歴史的事実は有名であり、精神をどれだけ研究し分析し、愚かな人々から評価され、「精神医学界の3大巨頭」の一人と称されようと、侵略戦争を画策し、独裁政治によって近隣諸国も自国の国民も不幸にし、故なく異民族を虐殺するような人間を絶賛するような人間は「愚者」であり残忍である。
 ユングの業績、それは何人をも救わない「趣味の研究報告」に過ぎず、人間としては最低の部類に属する。

 精神医学会の3大巨頭。フロイトにユングにアドラー。彼らの業績に評価すべき点は一つとしてなく、正常な人間からすれば、理性も良心も何もない、愚劣で軽薄で残忍な、普通以下どころか最低最悪の人間共にしか過ぎないのだ。

 以上述べたように精神科医には、一人の人間としてその人格に重大な欠陥があったり、残虐行為や独裁者に加担するなど、狂気に染まった者が実に多い。けれども、全ての精神科医がそうであるわけではない。

 スイスの誇り、「魂の殺人(For your own good.)」(この著書は現在、インターネット上で無料で購読可能である)を著し、全世界に先駆けて彼女が行った児童虐待やナチス・ヒトラーの分析で世界的に有名な、心理学者アリス・ミラー女史。

 アメリカのハーバード大学医学部精神科、臨床準教授のジュディス・ハーマン医師。彼女の「心的外傷と回復」は、トラウマとその治療に関わる全ての人々にとって、必読のテキストとなっている。
 彼女の著書は、児童虐待・戦争による国内外での残虐行為・レイプ被害・誘拐事件被害者・戦争によるトラウマその他、ありとあらゆる分野での心的外傷とその影響の深刻さと広がりを詳細に記述し、そこからの回復方法とその過程全てを記載している。

 これら良心的で優秀な頭脳を持つ精神科医達は、
「実在する客観的事実を事実として明確に認識」し、
「児童虐待や戦争における虐待などの残虐行為が実在することを指摘」し、
「個人の考え方や思考などでは、決してトラウマから回復する事ができない」事実を述べているのである。
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